1920年代にアメリカではウクレレブームが起きます。そのブームにのる形でギター製作で有名なマーチン社はウクレレ製作を始めます。 そんな中で登場したのがこのマーチン・スタイル3M(通称3M)と言うモデルです。
3Mは”ウクレレの神様”ハーブ・オオタさんが使っていたこともあり、ウクレレ弾きの憧れのモデルとなっていきます。
写真の3Mは私が以前所有していたもので、ポジションマークの形やマーチン社の刻印がヘッドの裏にあることなどから1920〜30年代に作られたウクレレのようです。
これは15年ほど前、ハワイに旅行した時に購入したとても思い出深いウクレレです。
当時私はウクレレを始めたばかりでしたが、ハワイでハーブ・オオタさんの生演奏を聴いてウクレレ欲しい熱が最高潮に達していました。
なんとしてもハワイでマーチン3Mを手に入れたいと、ホノルル中のウクレレショップを探し回りました。
しかし当時マーチン社はウクレレ製作から撤退していましたし、ビンテージマーチンも大変数が少なかったため、3Mはおろかマーチン製のウクレレをお店で見ることさえ出来ませんでした。
そして殆どあきらめかけていた時に、ホテルの部屋に置いてあった情報誌の中にウクレレショップらしき広告をみつけました。
写真も載ってないしかなり怪しい感じがしたのですが、タクシーでその住所の場所に行ってみました。するとそこはウクレレショップと言うよりもオフィスといった感じの所でした。ウクレレも1、2本飾ってあるだけで、あとはデスクが1つあるだけの小さなスペースです。
さすがにここには3Mは無いだろうと思いましたが、お客さんが1人もいなかったのでデスクに座っていた人に話しかけてみました。
話してみると、その方日本語ペラペラ、と言うか日本人でした。マサシさんと言うお名前だったと思います。(このあたり若干記憶が曖昧です)
日本語が通じることもあり話も弾みました。マサシさんはハワイでウクレレ・ショップを立ち上げる準備をしていて、間もなくお店がオープンするとのことでした。
そして私が3Mを探し歩いていることを話したら、それならばジェームス・コジロウ(James Kojiro)というコレクターが譲ってくれるかもしれないから聞いてあげようかという意外な展開に。
「まり期待しないでね」と言われましたが、私は宿泊先を伝えて連絡を待つことにしました。
それから3日程経ってからマサシさんから連絡があり再びオフィスに伺いました。するとそこにはなんと、憧れのマーチン3Mが3本も置いてあったのです。
3本ともコジローさんのコレクションで、好きなモノを1本譲ってくれると言うのです。
そしてここからが大変でした。3Mは製作された年代によってデザインや音色が随分違うのです。もちろん値段も違います。中途半端に日本で3Mの情報を仕入れていた私は、まー悩む悩む…
そして悩むことなんと半日(汗)、やっと写真の3Mに決めました。
戦前のモデルということでデザインが素敵で、甘い音色がとても気に入りました。
しかし難点も幾つかありました。まずはその値段です。戦前のモデルはビンテージとしての価値も高く値段もそれなりになります。ぶっちゃけてしまうと3,500ドルくらいだったと思います。当時の円に換算すると40万以上のお買い物になります。
かなり悩みましたが、
”これは一生に一度の買い物だ”
”ここでけちったらきっと後悔する”
と自分に言い聞かせてなんとか納得。この時は憧れの3Mを前に金銭感覚が崩壊してたと思います(笑)
そしてもう一つの難点と言うのがウクレレのコンディションでした。ウクレレの裏板の写真をみると解りやすいのですが、クラック(割れ)が沢山あるのです。太陽に透かしてみると光が漏れてくるのが解ります。しかもフレットが1つ針金で代用されていてネックからすこし飛び出していました。(写真は修理後なので確認出来ません)
しかしすっかり舞い上がっていた私は、そんな少しできの悪いところが逆にカワイイと超プラス思考になっていましたし、ウクレレが私に
”一緒に日本で楽しくやろうよ〜”
と囁いているような気さえしていました。
そんな悩みに悩んでやっと手に入れたウクレレなので、ホテルに戻ってベランダでポロンと弾いたときの感動は今でも良く覚えています。
日本に戻ってからもハーブ・オオタサンのCDを聴きながら毎日ポロポロ弾いていました。当時は家に帰ってウクレレを弾くことが、ただただ楽しかった。40を過ぎてこんなに何かに夢中になれたことは無かったと思います。
当時私が毎日聴いていたハーブ・オオタさんの曲を弾いてみました。
↓
leleTAB 『SongForAnna』
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